両面の菊全が2台あった時代。印刷機を扱うオペレーターの人数も多く、本社・東広島工場あわせて8名くらいの人間で印刷機を回していました。
製版に時間を費やすことが多く(フィルムからの焼き付け等)、DTPの人は残業がとても多かった時代。フィルムや版とかの材料費がかかるから、今と比べて1個あたりの仕事の単価は、今と比べてたぶんかなり高かったと思う。(笑)
製本は、今ほど内製化できていなかった。社内ではできないことも多く外注をたくさん使っていた。
両面の菊全が2台あった時代。印刷機を扱うオペレーターの人数も多く、本社・東広島工場あわせて8名くらいの人間で印刷機を回していました。
製版に時間を費やすことが多く(フィルムからの焼き付け等)、DTPの人は残業がとても多かった時代。フィルムや版とかの材料費がかかるから、今と比べて1個あたりの仕事の単価は、今と比べてたぶんかなり高かったと思う。(笑)
製本は、今ほど内製化できていなかった。社内ではできないことも多く外注をたくさん使っていた。