安芸の宮島散策 Part.1

みなさんこんにちは(^o^)/
日に日に寒くなってますね。
いつもなら、寒い日の休日は家で過ごしているのですが、
なんだかカメラ片手に出かける事が増えてきております。
これもブログのお蔭なのでしょうか(笑)

さてさて先日の「安芸の小京都 竹原」篇に引き続き、
「安芸」シリーズ第二弾として、広島の世界遺産「安芸の宮島」篇を
お届けしたいと思います。

何年ぶりかに訪れた宮島!
広島県内にお住まいの方なら、一度は足を運んだことがあると思います。
でも近いということもあり、なかなか頻繁には行かないんですよね(笑)
この日は祝日ということもあってか、沢山の観光客で賑わっていました。
久しぶりに訪れた「安芸の宮島」風情があってやはりいい所ですね。

かじやんは、1人で行くというのがあまり好きではなく
この日は友人を引きつれ、宮島観光してまいりました(^^ゞ

この日、とても天気も良く絶好の撮影日和でした。
宮島口に着いたのが10時30頃、すでに駐車場は満車(ーー;)
仕方なく、車で乗り込むことに!!
(あくまでも、仕方なくですんで(^^ゞ)
フェリーの中では、他の観光客から白い目で見られ・・・
(しょうがないじゃん・・駐車場がいっぱいだったんだから・・・orz)
と思っていると、宮島のシンボル大鳥居が見えて来ました。

フェリーからの写真を・・・あっ!忘れとった<(_ _)>

そんなこんなありまして、無事に宮島に到着!!
降りる時も、視線がキビシす!

さーて、どこへ車を停めよう・・・。
水族館がまだ工事中だから、その近くへ^_^;
宮島の道路は狭く、観光客も多いので気をつけて水族館まで。

紅葉は…まだじゃん!

紅葉なし…。
もう少し早かったみたいです。
11月初めだもの…。

気を取り直し、宮島観光へ!

まずは厳島神社へ

みなさんは厳島神社の由来をご存知でしょうか?
広島県人の方も、あまりしらないでしょうね・・・。
ぼくもこの為に調べたくらいでしたから(^^ゞ

厳島神社の創建は、推古元年(593年)、佐伯鞍職によると伝えられます。
平安時代後期の仁安3年(1168年)には、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した
平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営。

本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、
全て完成するまでに数年が費やされたといわれます。
社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、
その名を世に広く知られるようになりました。

鎌倉時代から戦国時代にかけて
政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、
弘治元年(1555年)、厳島の合戦で勝利を収めた
毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、
社運は再び上昇。天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して
武運長久を祈願しており、
その年安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)建立を命じています。

厳島神社は社殿が洲浜にあるため海水に浸る床柱は腐食しやすく、
また永い歴史の間には幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、
その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、
今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。
〈廿日市市 環境産業部 観光課HPより
http://www.miyajima-wch.jp/index.html

厳島神社で色々と写真を撮っていると、外国の方も写真を撮られていました。
さすがインターナショナルな観光地です。

平舞台と言うところで写真撮影の順番待ちをしていました。
僕らの前のカップルが撮影を終えると
どこかの国の方が、撮影を始めてしまいました。
日本語で順番に並んでください。とそのカップルの彼女が言うと
理解できてなく困った表情の外国人観光者のお二人。
みんな並んで待ってます。と言う様なジェスチャーをすると
納得されたみたいで、その場を離れました。
日本人だけなのでしょうかね?
ちゃんと順番を待ってるのって・・・(笑)

そんなこんなで撮影を終えて
改めて撮影した写真を確認してみると
ダメダメです。

設定がダメダメでした。
ちょっと色々設定をいじって撮ってみようと思い
色々試して撮ってみたのですが、
あ~ダメですね。
暗い場所で撮ったものは暗く、明るいところで撮ったものは明るすぎる。
なんで???と頭の中はパニック状態(>_<)

もうその時の設定は忘れましたけど、まだまだだなって思いました。

その時の写真がこちら!

五重の塔鳥居1

なんだか写真のお話が出来てなくてすみません。
観光に行って楽しかった!みたいな話になってますね^_^;

次回のPart.2でお話したいと思います。

来年かな・・・(笑)

次回をお楽しみに!!

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